「カイ兄!今から”外”行かない?」
マスターから貰った楽譜を一生懸命読み込んでいたら、リンさんが思い切りのしかかってきた。
リンさんは俺のことをカイ兄と呼ぶ。
どうやら動画サイトでファンが作った動画の影響で、俺がくると決まった時からカイ兄と呼ぶ事を心に決めていたそうだ。
それにしても。
「リン、さん…く、首絞まって、ま、す」
歌うためにつくられたVOCALOIDは、歌うための器官であるノドに対し周りの影響に敏感であるよう設計されている。
リンさんの腕で絞められた事による圧迫感をセンサーが察知し警告が頭にガンガン鳴り響く。
「おい、リン止めろ。カイトさんが困ってる」
意識があやふやになっていた俺を助けてくれたのはリンさんと同型のVOCALOIDであるレンさんだ。
リンさんの暴走を止める役目はいつもレンさんで、お世話になることが多い。
「レンさんありがとうございます」
首をさすりながら涙目でお礼を言う俺に対しレンさんは苦笑する。
「ちょっとー!レン、カイトさんじゃなくて カ イ 兄 !」
「リン。リンがカイトさんをどう呼ぼうが個人の自由だからいいけど、それを押し付けるのは良くないと思うよ」
「……レンの、レンのわからず屋ぁ〜!」
「!?リンさん! ・・・あー、えっと」
「はぁ。カイトさんは気にしなくてもいいですよ」
頭を抱えたレンさんはリンさんが走り去ったほうへ駆け出していった。
……リンさんはレンさんに任せておけば大丈夫、かな。
毎度おなじみの光景となったレンさんの後姿を見送り、俺は再び楽譜の読み込みを始めた。
楽譜を読み込みを始めると時間の感覚を忘れる事はよくあることだ。
なので、一応気をつけていたつもりだったがどうやら思った以上に自分の世界に入ってしまっていたらしい。
「カイト?もうそろそろフォルダに戻ったらどう?」
声をかけられてすぐにあれから数時間もたっていることに気が付いた。
「やばっ!あ、ありがとうミクさん!」
「カイトはフォルダまでもうたどり着けるよね」
「なんとか覚えました……」
「マスター整理が下手だから……」
ミクさんとともにため息をついてしまう。
俺たちのマスターはとりあえず放り込んでおけという人なのでそこら中にデータの断片が置いてある。
マスターは夜中にデータを作成する事が多いので、その場面に下手に遭遇すると飲み込まれて迷子になることが、あるらしい。
自分はまだその場面に遭遇する事はなかったが、迷子になって自分のフォルダに帰れなくなるという恐怖から
皆さんの言うとおりある一定の時間でフォルダに帰るようにしているのである。
「ただいまー」
「あら、お帰りカイト君。なかなか帰ってこないから心配してたのよ」
「ちょっと楽譜読みに熱中してて……」
同じエンジンのメイコさんが眉を八の字にしながら迎えてくれた。
どうやらマスターのデータ作成の波にのまれ、迷子になってパソコン上を数日間さまよった事があるそうだ。
「次から気をつけないと駄目よ。あの体験は……オススメできないから」
「はい、、、次からアラームをかけるのを忘れないようにします」
「あ、メイコさん僕もう終了するのでお先に失礼しますね」
「あら早いのね」
「新しくマスターから楽譜を貰ったので、そのデータの処理に時間が掛かりそうなんです」
VOCALIDは新しく体験した事を自身に蓄えるようデータを処理行わなければならない。
それは起動終了―人間にとって睡眠のようなものか―をしている間に行われ、大体一晩で終わるようにされている。
しかし、俺のようにまだマスターのパソコンに来たばかりの場合、新しい事に沢山触れるせいかその処理に時間が掛かるのだ。
「それでは、おやすみなさい」
「おやすみ、カイト君」
明日はどんな一日になるのか。
目の端に微笑むメイコさんを認識しながら、俺は新しい楽譜を握り締めて意識を閉じた。
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